焼肉はすべてを救う。体調不良の家族が治っていったので、かねてから行きたかった焼肉に、妻と2人で行く。はじめこそ、病院食に慣れすぎていて、うますぎてうまさを理解できないかと思ったが、ハラミが出てくるころには、肉のワイルドさを噛みしめるたびにあふれ出すうまみに、我を忘れるほどの量の肉を食べた。全力で食べ続けても、注文をゆるめるほど腹いっぱいにはならず、もうちょっと、ギリ詰め込めるかな?というところでラストオーダーを店の人が取りに来た。つまり、制限時間すべてを焼肉でかけ抜けた。妻は「焼肉を考えた人天才!」と言っていたが、誰でも考えつくことをうまさでバグらされているのが明白である。焼肉による思考能力の低下がはっきり見られ、互いにハッピーな時間を過ごした。

コーヒーショップで、コーヒーを飲みながらただただ話す時間もあった。最近、こういう時間がなかったので、少し深い世間話ができたのは楽しく、リラックスしていた。たまには自分が話し手になるのもよいものだ。聞いてばかりいても、普通におもしろいのだが。

結局、夕食はまともに食べることができず、食べ放題の威力を思い知ることになる。やはり食べ放題は昼に行かないと、なんだかもったいない気がする。幸せの余韻は長い方がいい。

子どもにこの手帳をとられないために日記を後回しにすると、寝かしつけるのとあいまってほとんど夜には書けないことがわかってきた。さあ、どう工夫すべきか。そして、頭の中からテツノツツミが出ていかない。助けてくれ……。


頼もしい、一歩。


アマトリチャーナを変わらず作る。料理に練度ってないような気が何となくしていたが、最近みそ汁を切らさないように作っているだけなのに、明らかに練度の上昇を感じる。大根のさばき方、パスタのゆで方、ベーコンの炒め方、どれをとっても、素早く正確に、自信をもってできる。こういう話の時に、すぐハンターハンターのネテロ会長の感謝の正拳突きしか思い出さないのは世代なのか。思えば、陸上競技も、誰でもできることの練度を上げる取り組みだった。料理も、「手際が良い」に代表される、練度の高まりを表す言葉がある。掃除も勉強も筋トレも簿記もポケモンも同じ。とにかくたくさんやってみることだ。そのうち体が覚えてくれることだろう。

子どもを寝かしつけて夜。スニーカー探しをしすぎて少し時間が深くなってしまい、子どもが寝落ちた形だった。そもそもはスプラトゥーン3の「フカヒレニマイバ」がかっこいいなぁ~と思ったところが始まりだった。スプラトゥーンの装備に元ネタがあるということに気づいてしまい、検索するとバレンシアガのTripleSというものらしい。たしかにイカつい見た目が似ている、、、。安いのないかな?と探し始めた。「ダッドシューズ」というジャンルの火付け役になった靴らしいのだが、カラフル、というよりかは黒白茶の暗いトーンのものが多く、ビビッドな見た目とイカつさを両立してほしいぼくのセンサーに触れるものを見つけるまでなかなか時間がかかった。見つかってもキッズサイズしかなく、25cmまでしか頼めないことも多々。採算をとるって、難しいんだね。


頼もしい、一歩。


黄金パラパラチャーハンを作る。「水分を抜くように炒める」をひたすらやっていくと、うまみだけが残ってとてもうまい!になる。ウインナーとレタスのトッピングもうまくハマって、よかった。ただ子どもは全く手をつけなかった。妻はバクバク食べた。夕食は豚肉炒め。妻がニンニクスライスを大さじ何杯か入れていたらしく、ニンニクを食べているような感じになった。料理は大胆さが大切である。失敗だ、と思ったら次、調整したらいい。口に合わなかったら食べなくていいよ!という気持ちで作らないと、なんだかヘコむ。だからこそ、少なくとも自分はうまい!と思えるものを作ることが必要なんだなと思う。

トレーニングがどんどんレベルアップしている。リングフィットアドベンチャーには運動負荷というものがあり、数字が高いほど回数が多くなり、かかる時間も多くなる。はじめは14から始めて、今日で24まできた。エゲツない回数のバンザイコシフリになっているが、できないことはない、くらいの回数なのがすごい。サブリミナル的に上がっていくので、まだまだイケる!イケる!という気持ちが大事。

みかん、家族の中で自分しか食べない。なんとなくひっそりと食べるくせがついているので、タバコみたいだ。喫煙ならぬ、喫柑(きつかん)だ。今日食べたものは水っぽくて、いよかんみたいだった。それもまたうまい。

子どもがマネをしてペンを使いたがる。手帳に書くのだけは阻止しているが、ポケモンのメモを取っているメモ帳は自由な線だらけである。ま、ぼくは書けたときに満足しているのでいいんだけれどね。


頼もしい、一歩。

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