はたきおとすのわざマシンのために、タネボーのえだを探しに行く。

1匹しか出ないで夜に。

キレて諦めた。


そしてオオニューラははたきおとすを覚えないらしい。

意味なさすぎる。

でもカウンターは覚えるらしい。


やったあ。


明日、遭遇パワーつけて一生分のタネボー狩りをしよう。


「言語化youtuber」という触れ込みのチャンネルがある。別にこの人がものすごい悪いことをしているわけではないことを断った上で、見ていてあまり気分がよくなかった。彼が主に上げているのはポケモンスリープ、身近なもの、ドラマなどの題材で、見る価値があるものもかなりある。なのだが、頭の中で言語かって何?確かに言語化しているけど、それってみんなやっているんじゃないの?例えるなら(とても難しいが)昔の行列のできる法律相談所が、全く法律を取り扱わなくなった嫌悪感に近いというか。他のもので言うと、家庭教師ヒットマンリボーンが完全にバトルに振り切っていった時の悲しさにも近い。

本来、言語化は仕事や表現の場において、相手に伝わるように表現するためのテクニックとしての言葉だ。言語化youtuberという看板を備え付けるには、その人自身が言語化するというよりは、言語化テクニックはどんなものがあるのか、に期待して見てしまう。先の例でも、法律を全く使わず、トークをメインにしていったり、ヘタレな主人公を変えていくことが物語の軸であったのに、自分軸がしっかりしてしまい、周りに振り回されない主人公に変わってしまい、成長のカタルシスというよりかは信念の確かめとしてバトルに勝利するだけ、本来持っていたコンセプトからは離れてしまっている。

しかし、はたしてコンセプトから離れた状態で流行る、というのはそんなに悪いことなのだろうか。そして、自分に生まれた嫌悪感は、なぜ生まれる必要があるのか?


頼もしい、一歩。


スプラトゥーン3、勝てない。デンタルワイパーをルールによって使い分けているが、確定一発の範囲的に、詰めてよし、塗り範囲的に間を取ってよしと、なんでもできるからこそ、自分の編成と相手の編成で何をやらなきゃいけないかが変わってくると思っている。自分が短射程だらけの場合は、塗りメインで詰める道を作ってあげる意識の方がいい、ような気がする。逆に長射程だらけの時はイカニンジャやスニーキングを使って一確を狙いに行く方がいい、ように感じる。ただ、自分より詰める動きのない短射程使いや、なぜかポンポンデスする長射程使いがいる。どうしようもないとは言いたくないのだが、まぁどうにかできもしないのがキツいね。

ガストに行き、読書をする。『蜜蜂と遠雷』。長い。内容はめちゃくちゃいいのだが、長い。500ページ中300ページしか進んでいない。何日かかるのか。ただ、めちゃくちゃおもしろい。音楽のことなんて全くわからないのに、それをこえるおもしろさがある。それぞれの主人公が、何らかの代表として設定されていて、様々なケースにあてはめられそうな普遍性がある。

しかし、平日昼間のガストは、売り込みをする2人組スーツが、自由な格好をしている自営業者にセールストークをかます地獄がそこここで見られる。あと、「トイレ清掃中」の看板が30分以上貼ってあって、あれは外し忘れだな。人の粗探しは得意だが、粗を指摘はしないタチなので、心のおだやかさには定評がある。外出が増えてきたのは非常によいこと。この調子で、明るくいきましょう。


頼もしい、一歩。

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