『マチネの終わりに』、これがどんな終わり方をするのかが気になり、ナンプレができなかった。何かをやりとげ、相手を思いやる、だからこそのすれ違いがなんとも言えず、アツい。ただ、2人のスランプの感じが今の自分と重なって、興味深かった。蒔野は、ギターに飽きてしまった、高みがあるはずだが、道を逸れているような感じ、洋子は、ハメを外したくなる、安定を捨ててしまいたくなる時期、そんな言葉で画かれた。

アドラーは、病気を「何か目的があって生まれるもの」と言い切った。結婚か、子どもか、仕事か、カネか、友達か、家か、、、ステータスを見れば、よくここまでうまくいった、と感じざるを得ない。もちろん削ったものもあり、それは今のところ友達と家だ。その次に削るのは、おれは仕事だと思う。これが一番とりかえしがつき、尚且つ手放すか悩んできたものだ。

人生は面白い。順調に欲しいものが手に入ったあと、それに飽きてしまうのだから。一年前は、失敗してやろう、という気持ちで復職した。でも多分、そこじゃない、人の気持ちを自分の中で支えきれなくなるんじゃないか。そういう意味では、何十人もの人の想いを背負う前の仕事はよくないんだろうな。と、これも逃げの口実ではある。そもそも、なんでこの仕事を選んだのだろう。原体験も何もない、なのに想いだけは強くて、それを持てあましているようだ。元の仕事に戻る理由を見つけられなかった時に、本当に足を洗えばいい。


頼もしい、一歩。
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