朝マックにて宿題。『傷を愛せるか』宮地尚子のエッセイを読む。「ホスピタリティと感情労働」頭脳労働と肉体労働という二軸のモチーフに「感情労働」がある、という視点。本当におもしろい。気持ちよくすごす、ということにはたいてい「感情の力」を働かせている。例えば家事。言われる前に、いつの間に!というタイミングで済ませておくことは、非常に高い質の感情労働と言える。赤ちゃんが泣いてから動くか、泣く前に動くか、と考えると、とてもわかりやすい。ぼくがやりたくないのは、この感情労働だ。だから料理だの経理だの、表面の自分が傷つくだけの仕事を探している。今の仕事は、あまりにこの感情が試されすぎている。
「右も左もわからない人たち」右左どちらの脳が働いているか、疑問をもって文献に当たるが、結果何も解決しない章。両手使い、という概念がおもしろいと思う。自分も時折、左手でスプーンを使ったり、車の運転は左手だけですることの方が右手だけの時より多かったり(これは自転車もそうで、左手のみの方が運転しやすい)、足は力の左、技の右と思っているので、サッカーでとにかく遠くに飛ばしたい時は左で蹴ったりする。このレベルは、両手使いに入るのだろうか。両手を協力させる動作も、比較的得意だと思う。ゲームもそうだし、ドラムやピアノよりはベースやギターウクレレの方が割とスッと習得しやすかった。考えを改めがちだし、記憶力もわりといいし、精神疾患にもかかっている。文の中にもあるが、こうやって自分に当てはまるところだけ拾って、満足して、結局のところ何かに生かすということはないなぁ、と思う。
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