2024年05月


考えが深まっているとは思えない。お金の心配をなくすために節約を頑張った。その結果、誰がやっても同じ結果にたどり着くことがわかり、じゃあ何のために働き、何のために生き、何のために死ぬの?金のために働く、金を得ることが、今はもうすでにできている、じゃあ何のために成長するの?学ぶの?生きるの?そもそも、金、というのも人間の作り出した幻の概念であり、それをたくさん稼ぐと偉い、まあ偉いまで行かなくても、わりと何でもできる、幻を取引して、命という幻と引き換えている。当然、自分も幻としての存在だ。いてもいなくても、代わりはいて、いてもいなくても代わりはない。自分の感覚は自分だけのモノ、というが、その自分自身が、幻である金の上に成り立っている、当然幻であることは、疑いようのないことである。なんで、みんなこんなことを疑問に思わず、元気に過ごせるのだろうか。不思議。自分が心に穴が開いている存在だと、なぜ疑うことなく生きていられるのか。普段は徹底的に自分が無の存在であることなど、疑問にも思っていなかった。やりたいことがある気がしていたし、欲しいものがある気がしていたし、頑張れそうな気がしていた。今は、それら全てが幻想でしかなかったと思える。地位も、富も、名声も、人気も、努力も、力も、価値は全て同じもの、あっても、なくても、全ては幻の上の存在であるので、そのどれもが当然、幻である。そんな世界に存在し続けることの、意味って何だろう?もうクリアしても、つまりおわりにしてもいいんじゃないの、ってね。


頼もしい、一歩。 


虚無主義に囚われている。稼ぐ、虚しい。儲ける、虚しい。楽しい、虚しい。おいしい、虚しい。頑張る、虚しい。できる、虚しい。できない、虚しい。ゲーム、虚しい。スポーツ、虚しい。文章、虚しい。創作、虚しい。やる気、虚しい。ブログ、虚しい。動画、虚しい。見る、虚しい。やる、虚しい。料理、虚しい。読書、虚しい。仕事、虚しい。寝る、虚しい。勝てない、虚しい。薬を飲む、虚しい。病院、虚しい。音楽、虚しい。経営、虚しい。大企業、虚しい。会社、虚しい。学校、虚しい。片付け、虚しい。負け、虚しい。勝ち、虚しい。電気、虚しい。電話、虚しい。本、虚しい。できることがない、虚しい。やることがない、虚しい。食べたいことがない、虚しい。稼いでやりたい、成し遂げたいことはない、虚しい。時間がある、虚しい。うれしい、虚しい。節約、虚しい。上手に字を書くこと、虚しい。

野球、おもしろい。9回3ボール2ストライク2アウトというのは、なぜこんなにも心が踊る。結果が見えないというのはとても幸せなことである。自分のことはこんなにも虚しいのに、野球はこんなにおもしろく感じる。おもしろさや楽しさや安心のために生きているから、それが保証されてしまったら、それ以上にも以下にもならない。無痛主義は人間を殺す。生きていることと死んでいることを同質にする。小手先のライフハックというのは、心を殺して実益を取る方法なのかもしれない。ムダなこと、やろうではないか。ムダなことを、味わおうではないか。


頼もしい、一歩。 


最終的に腹が痛い。通院。ふり返ってみると、全てが頑張れそうだった4月始めと打って変わってコロナに苦しめられ、全ての行動や規則的習慣がぶち壊しになってしまっていたことがわかった。なんとなく、全てが無力な感覚。これが病気によるものだと、太鼓判を押されたことがよかった。努力がどうとか、生きる意味がどうとか、そういうことは考える必要がないと、心から、思う。

昼にはワンパンぺぺたまを、いいベーコンを使って作る。なんだかもうタマネギすらいらない。なんだかよくわからんが、なんだかうまいように感じる。もう別にそれでいいや。

コロナの後遺症で、味覚はあるが、嗅覚が完全になくなってしまったように感じる。食べられるが。食べても楽しくはないし、作り甲斐もない。

夕食は、カレーの作り置きと、シュウマイと揚げ物を食べていく。子どもはパンの半分をバクバク食べてしまって、他は食べなかった。

カレーの根菜に反応しているのか、腹がゴロゴロしてたまらない。とっとと寝るに限る。とにかくスマホをずっと触ったままにしないこと。ためになる、というより、風景のような本を読むことにしよう。9時に多少、眠たくなる、世界に万歳。


頼もしい、一歩。


ぐちゃぐちゃ。考えが浮かび、子どもや妻や風呂や鬼滅に気をとられ、そのあとぐちゃぐちゃになる。夢、なんだっけ。金、欲しい、仕事って何?なんで働いてるの?その意味なんてない、こんなの、終わりにしてもしなくても変わりはない。じゃあなんで生きているのか。全ては資本主義の奴隷だ。なんで命を続ける必要があるのか、仕事をしたいのか、お金が欲しいのか、本当にわからない。欲というのはなんなのだ?やる気とはなんだ?どうしてやる気がなきゃいけないのだ?なぜ、やらなければいけないのだ?テレビ、なんで見ているのだ?楽しい、これも偽物の、作られたモノから生まれた作られた感情に過ぎず、本当にやりたいことってなんなんだ、本当に感じたい気持ちってなんなんだ?そんなもの、考えてもムダだってことはわかってる。そんなことに答えなんてないからだ。考えても意味のないことを自然と考えてしまうことの辛さが、わかってたまるか。他の人にはわからないだろう。何もベストフィットした答えがない世界、それが許せない。怒りに全てが変わったのも、わかったような気になって講釈を垂れている感じを読み取ってしまったからかもしれない。正しいことでこっちを縛るなよ。正論っぽい言葉でこっちを見るなよ。ここまで、自分の判断が正しい、正しい、と思ってやってきたことを、病気で踏みにじられたことのないやつに、何もわかるはずがないんだよ。全てのものに決別し、全てのものにバツをつけ、残るのは怒りをため込む心のみ。何がしたいんだよ、このかりそめだらけの世界で。かりそめの自分で。何もしたいと思わない、かりそめの自分で。


頼もしい、一歩。


ひどい。体全体がダルく、筋肉にきしみが走って、もうまともに動かない。メシも作れず、買い物にも行けず、風呂掃除もできず。ただただ妻に任せる。頼る。うれしいはうれしいのだけれど、返せるものは何もない。ないのは別にどうってことないのだが、なにかで返してあげられたらいいな。

ひたすら岡田斗司夫の4タイプ診断をしている動画を見ている。一人で、アリの行進を見ている法則型なのかなぁと思う。理想というには思想が強くないし、司令というには全体への影響力が少なすぎる。ということで診断サイトがあったのでやってみたら法則だった。それも、めちゃくちゃギリギリ理想型に踏み込む前の法則。とにかく、目立ちたくはない!というのが性質的に備わっているように思う。やっぱり、もう辞表を書いておこう。←このCM、めちゃくちゃ多くなってきたな。

MBTIという診断もあるが、そもそもこういう診断で何かを決めたがるというのが法則型あるあるな気がする。占いはイヤなのに、こういうアンケートでとった、みたいなやつは知りたい!と思ってしまうんだよな。知識欲に正直に、行きたいと思います。


頼もしい、一歩。

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