考えが深まっているとは思えない。お金の心配をなくすために節約を頑張った。その結果、誰がやっても同じ結果にたどり着くことがわかり、じゃあ何のために働き、何のために生き、何のために死ぬの?金のために働く、金を得ることが、今はもうすでにできている、じゃあ何のために成長するの?学ぶの?生きるの?そもそも、金、というのも人間の作り出した幻の概念であり、それをたくさん稼ぐと偉い、まあ偉いまで行かなくても、わりと何でもできる、幻を取引して、命という幻と引き換えている。当然、自分も幻としての存在だ。いてもいなくても、代わりはいて、いてもいなくても代わりはない。自分の感覚は自分だけのモノ、というが、その自分自身が、幻である金の上に成り立っている、当然幻であることは、疑いようのないことである。なんで、みんなこんなことを疑問に思わず、元気に過ごせるのだろうか。不思議。自分が心に穴が開いている存在だと、なぜ疑うことなく生きていられるのか。普段は徹底的に自分が無の存在であることなど、疑問にも思っていなかった。やりたいことがある気がしていたし、欲しいものがある気がしていたし、頑張れそうな気がしていた。今は、それら全てが幻想でしかなかったと思える。地位も、富も、名声も、人気も、努力も、力も、価値は全て同じもの、あっても、なくても、全ては幻の上の存在であるので、そのどれもが当然、幻である。そんな世界に存在し続けることの、意味って何だろう?もうクリアしても、つまりおわりにしてもいいんじゃないの、ってね。
頼もしい、一歩。