2024年06月


ウネルミナモ大活躍。水タイプって今の環境でこんなにやれるのかとビックリしている。

ウネルミナモで仕事できる相手が、カバルドンガチグマパオジアンアーマーガアオーガポンなどなどなどなど、やれる範囲多すぎる。火力上昇+ブエナS上昇が偉すぎる。

唯一厳しいのがハバタクカミだが、逆に言えばそれくらいしか文句がないの偉すぎるだろ。

ザシアンとハバタクカミの地面テラスにどう対抗していくかが悩みどころ。特にハバカミはどんなパーティでも出てくるし、活性タダ乗り素早さからのムーンフォース+地面テラバの範囲が偉すぎる。

瞑想や高速移動は全然当たらなくなった。あんなに最終日パーティには入っていたような気がするのに。

高級コータスとしてのコライドン、まだ舞える。もう少し使ってみよう。


妻がありがとうと言ったこと。食べ物をおごってもらうこと。バスタオルを貸してもらうこと。家に入ること。運転してもらうこと。心配してもらうこと。

フードコートでラーメンを食べていると、アイスクリームを水のコップの中に入れた子どもが母に叱られていた。水がこぼれ、服をタオルで拭いている。その人に声をかけ、タオルを貸しましょうか?と妻が言う。断られる。特に感想も何も言わず、ただ、特に何も起きなかったかのように続きを食べていた。何で、話しかけたん?まったく理由がわからなかった。予想としては、①子どもがあまりにもかわいそうに感じたから。②親が動揺していて、あまりにもかわいそうだったから。③子どもの困っている声が気にさわったから。さあ、どれでしょうか。正解は②→①→③の順で話をして、子どもが一番かわいそうだと思っていたらしい。しかも、後々考えたら失敗だったなぁと思っていたらしい。

何でこれがイマイチと感じたのかというと、生活様式、ライフスタイルが異なっている人を助けても、イマイチ身にならないからではないか、と考えた。友人などなら、互いにライフスタイルもわかっているので、効果的な言葉がけになったりもするだろう。そして、この親たちはそもそもイライラしがちで、普段から子どもの失敗を追求するようなクセがあるように思う。そんな人に手助けをして、子どもの肩をもっても、残念ながら事態は進展しない。ホームレスの人に、家に住みましょう、と言うような、貴族の使用人にそんな生活は人権をはく奪されているのも同義です、と言うような、そんなぬかに釘なことだと感じる。


頼もしい、一歩。


はたきおとすのわざマシンのために、タネボーのえだを探しに行く。

1匹しか出ないで夜に。

キレて諦めた。


そしてオオニューラははたきおとすを覚えないらしい。

意味なさすぎる。

でもカウンターは覚えるらしい。


やったあ。


明日、遭遇パワーつけて一生分のタネボー狩りをしよう。


「言語化youtuber」という触れ込みのチャンネルがある。別にこの人がものすごい悪いことをしているわけではないことを断った上で、見ていてあまり気分がよくなかった。彼が主に上げているのはポケモンスリープ、身近なもの、ドラマなどの題材で、見る価値があるものもかなりある。なのだが、頭の中で言語かって何?確かに言語化しているけど、それってみんなやっているんじゃないの?例えるなら(とても難しいが)昔の行列のできる法律相談所が、全く法律を取り扱わなくなった嫌悪感に近いというか。他のもので言うと、家庭教師ヒットマンリボーンが完全にバトルに振り切っていった時の悲しさにも近い。

本来、言語化は仕事や表現の場において、相手に伝わるように表現するためのテクニックとしての言葉だ。言語化youtuberという看板を備え付けるには、その人自身が言語化するというよりは、言語化テクニックはどんなものがあるのか、に期待して見てしまう。先の例でも、法律を全く使わず、トークをメインにしていったり、ヘタレな主人公を変えていくことが物語の軸であったのに、自分軸がしっかりしてしまい、周りに振り回されない主人公に変わってしまい、成長のカタルシスというよりかは信念の確かめとしてバトルに勝利するだけ、本来持っていたコンセプトからは離れてしまっている。

しかし、はたしてコンセプトから離れた状態で流行る、というのはそんなに悪いことなのだろうか。そして、自分に生まれた嫌悪感は、なぜ生まれる必要があるのか?


頼もしい、一歩。


スプラトゥーン3、勝てない。デンタルワイパーをルールによって使い分けているが、確定一発の範囲的に、詰めてよし、塗り範囲的に間を取ってよしと、なんでもできるからこそ、自分の編成と相手の編成で何をやらなきゃいけないかが変わってくると思っている。自分が短射程だらけの場合は、塗りメインで詰める道を作ってあげる意識の方がいい、ような気がする。逆に長射程だらけの時はイカニンジャやスニーキングを使って一確を狙いに行く方がいい、ように感じる。ただ、自分より詰める動きのない短射程使いや、なぜかポンポンデスする長射程使いがいる。どうしようもないとは言いたくないのだが、まぁどうにかできもしないのがキツいね。

ガストに行き、読書をする。『蜜蜂と遠雷』。長い。内容はめちゃくちゃいいのだが、長い。500ページ中300ページしか進んでいない。何日かかるのか。ただ、めちゃくちゃおもしろい。音楽のことなんて全くわからないのに、それをこえるおもしろさがある。それぞれの主人公が、何らかの代表として設定されていて、様々なケースにあてはめられそうな普遍性がある。

しかし、平日昼間のガストは、売り込みをする2人組スーツが、自由な格好をしている自営業者にセールストークをかます地獄がそこここで見られる。あと、「トイレ清掃中」の看板が30分以上貼ってあって、あれは外し忘れだな。人の粗探しは得意だが、粗を指摘はしないタチなので、心のおだやかさには定評がある。外出が増えてきたのは非常によいこと。この調子で、明るくいきましょう。


頼もしい、一歩。

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