2024年11月


野球って1年間140試合やる。もちろん分析が進むなどはあるのだろうが、140試合同じ作戦で戦う必要はない。ないのだが、必ず変える必要もまた、ない。ザクレイが言っていたが、格ゲーがジャンケン構造になった時にはじめて、読み合いというものが始まるわけで、めっちゃ強いグーでパーに勝っているなら、ずっとグーを出し続けるのが最善手になる。つまり、読み合いになるのにも、ある程度のレベルの高さが必要になるのだ。何が言いたいのかというと、同じことをやり続けることを合法化する言い訳はたくさんあるから、恐れずにワンパターン戦法を使おう、ということだ。ワンパターンが磨かれて、とてもよいものになることもある。

毎年毎年同じようなことをしているが、全く成長していない。もしかして、一時期の「圧倒的成長」というキャッチフレーズが流行ったのって、みんなは圧倒的成長なんてしていないから流行ったのだろうか。そして、圧倒的成長やてしなくても仕事になるし、損をしたのは圧倒的成長しなければダメになる、と自己否定に打ちのめされた、自分を含む一部の人間だけなのだろうか。なんだか割に合わないなぁ。人間らしところを見せてもよい、とはよく言うが、みんな圧倒的生産力を手に入れるために勉強していたのではなかったのか。少なくともぼくはそうだった。どうやら、いつの間にか貪欲に貪欲を重ねる時代は過ぎ、定常とか、恒常とか、そういう言葉が似合う時代になったらしい。


頼もしい、一歩。


うん、人間というのは成長しないものだ。「若者はちょっと怒られると辞める」「エクセルは再利用できるように組め」とか、「怒るな、叱るな、ほめて伸ばせ」とか、さんざん言われているいることを平気でみんなやっている。さんざん言われているのは、みんなできないけど、こうなったらいいなぁと思っている程度のことであって、実際にこれらを全てこなすニュータイプが現れるとは思ってもいないのだろうな。みんなわざとかってくらいには、小さいことにはリアクションを起こさない。これはわざとなのかわざとじゃないかわからないが、行動できていないのはどちらにしろマイナスだということだ。じいさんばあさんでさえそんなもんなんだから、自分も平気な顔で生活してよいのだ。

友人にSwitchを買うべきか買わざるべきかを問われている。なんだかSwitchの後継機がもう出るというウワサなので、ホイっと買うのも違うなぁと。じゃあSwitchLITEを買うかと言われれば、せっかく友達と遊びやすいSwitchの特徴を殺すことになってしまう、と。メモしていて思った、流行に乗り遅れると、こういうことになってしまうんや。まあ、好きなものを買ってつまらなくても、そんなには後悔しない。好きなモノをガマンすることもないなということだ。


頼もしい、一歩。

ある人は言う。「成長のない人間はばかだ。」ほとんどの人はそういう風には成長しているに見えない。自分は「成長しなければ価値がない、以前と、何かを変えなければ続けている意味がない」、そう呪いをかけ続けてきた。しかし、そう思い続けている人は少数派か、実際に行動の変化につなげられている人が少ないだけか、とにかく前はこうした、それをずーっとブラッシュアップしていない人というのは、たくさんいるのだ。そんな人がたくさんの中で、ほとんどすべてのモノを変え続けようという人はなかなかいるものではないし、変え続けようという周りに変える気がないという引き留め役がいる状態では、それはそれは変え続けることは面倒な気がする。ぼくは毎年、イチから変えて思考を止めることなく、上昇していきたかったのだが、あまりにも大変すぎるのだ。

断っておくが、これは堕落とか、怠惰とか、そういう言葉ではない。強いて言うなら「足並みをそろえる」とか「レベルを変えない」ということに近い。もっともっと急成長することが、できないわけではないが、非常に強い抵抗力が働くということがわかった。また観察を続けるが、自分も大したことはないが、周りは輪をかけて大したことはない。タダの人間なのだから、自分はもう少し堕天した方がよいのだ。

そういうのを、短く表した言葉がある。「上善如水」である。水のように、上から下に慣性をつけて流れるのである。


やっぱりシンガーの行きつく先はメカなのか。ほぼ身動きせずに歌うバンプオブチキンを見て、そう感じざるを得なかった。スパイファミリー→ダンジョン飯→?→天体観測→ポケモンと、一部界隈に刺さる歌を続けて歌えるというのは、キャリアの長いバンプだからだとは思うが、やはり続けることのよさはあるなぁと思った。

初めて関わる仕事相手と顔合わせ。結局、心配はしても、実際にうまくいかなすぎることはない。もしうまくいかなかったら、ハードルを下げる。これが実務であり、生活というやつだ。

自分が、あまりにも思想で生きてきていることが今になって気になる。学問をする人には大切だろうが、実務をひたすらこなすときに、それは邪魔でしかない。人の動きを効率から突き詰めるのが経済学だが、どれだけこれを突き詰めても、株式やデイトレードで勝てるかと言えば、勝てない。あくまで実務は別物なのだ。

若いぼくは、なんだか思想を取り入れることこそ大切だと思い込みたがった。その方が自分の興味に合っているし、何よりめまぐるしくない。取り入れるだけなのに、成長したような気持になる。本当はメシのタネになるようなことは、一つもないのにな。

誰かに「世界の軸が弱者に歩み寄っているのではなく、弱者に対しても寛容になれるくらいに成長しきって、余白を残しているだけ」なのでは、としか思えなくなったと言いたい。これはHSPとかうつ病とか、そういうモノの先にある。サッと言えないなぁ。


頼もしい、一歩。


スプラ3のサモランギアがバイトの帽子だったのを知った。もう少しで逃してしまうところだったなぁ、アブナイアブナイ。

実家に帰った。各病院を回って、復職の診断書をもらう長らく運転していたが、延々とゆる言語学ラジオを聞いていた。一つの軸は、「ビジネス本はJ-POP、そのまま信じるものではない。」「マイノリティだからこそ主張が生まれる」「信念は別に曲げなくてもいい」「自分のやりやすいように変えていくためには、うまくいかないが必要になる。だから、うまくいかないは発明の父と言える。」こういったような思い付きを得たが、別に放っておいてもいい。

BSで花火大会の中継をやっているのでつけておいた。明るい青の花火はきれいだなぁ。黄色が王道とは思うのだが、あえての青というのも、とても美しい。なんだか頭の中の容量がすぐにパンパンになってしまうが、この手帳とホワイトボードにとりあえず書いておくことで解消しているような気がしてうれしい。

Aが、妻の母からプラレールを買ってもらってきた。まったく片付けのことを考えていないのはなんなのだろうか。むしろ片付けありきでモノを考えてしまうのはダメなのか。いや、そんなこともない。3分の3の内の、3分の1として、思い切り言う権利はある。「そのプラレール、どこに片付けるねん!」


頼もしい、一歩。

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