夕飯のカレーをもう作っていたので、時間を考えずに歩いて図書館に行く。『生きているけど、死ねもしない』みたいなタイトルの本があるかなぁと思ったらちゃんとあった。大学教授になった哲学者の人が、4人の若者と対話する形式で流れていく。生きる気力が湧かないが、死ぬ気力もない、ひたすら問答を見ているだけで、自分がどうなるか、心が変わっているような気も起きない。今、ふり返ってみても、何も心に残っていないことが再確認できた。結局、生きていたら何かの目的や目標に当たる、というのが結論っぽいもので、もしこの考えを突き詰めたいのなら、大学教授になるしかない、ということでしか、記憶に残っていない。

『DEATH』という、イェール大学で23年間、最も評価の高い講義という触れ込みの本も半分くらい読んだ。死というものの、全てを考えた上での公平な考えを書き連ねられている。人生の意味については、後半で語られるようなので、もう少し読み進めなければならない。

夕食に玉子とウインナーを焼いて、子どもと妻に食べてもらう。なぜ、生きるのか。ちっぽけな人間の、ちっぽけなよろこびに、果たして意味はあるのか。今は、どう考えても意味がないとしか思えない。もちろん、幸せを追うこと、成長し続けることが意味あることだと、心から思えるのなら、それでいい。けれど今は、くだらないヒトの、くだらない生において、どんな生き方をしても同じだろ、と思う。料理も風呂掃除も頑張っている。生活を頑張れるのは、病気をどうにかすることができているからなのだろうか。とっとと、安定したい。自分を信じたい。


頼もしい、一歩。
スポンサードリンク