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なんでそんな寂しいこと言うの?作っている人のこと考えたことある?


逆に問おう。これまで慣れ親しんできたシリーズや、流行りになるゲームがなんでもかんでもオープンワールドに寄っていって、一抹の寂しさ、コレジャナイ感などと向き合っていない人はいるのか。ゲームファンであればあるほど、違和感をもつのではないか。スマホゲー、ポリコレなど、技術の進歩や機器の普及、社会常識の変化により、ゲームも多様に変化してきた。アーケードゲームなど明らかに下火になったジャンルもある。良いか悪いかは別として、技術革新によって製作の可能になったオープンワールドのゲームがこれまでのゲームと異なるのを認めてから、話を始めたい。


オープンワールドを取り入れたゲームについて、いろいろ話を聞く。ぼくがゲーム好きであり、感想を言ったり聞いたりするのはやっぱり楽しい。しゃべるためにゲームをしている部分も、多少はあるだろう。

ぼくの友人に「ゼルダが初めてでブレワイやったけど、砂漠がめちゃくちゃ難しすぎてやめちゃった」人がいる。

「ゼルダブレワイが評価されている理由は、オープンワールドというゲームシステムなのに、退屈せず程よくアイテムやイベントがあり、飽きさせないテンポである」と主張する友人もいる。

ぼくの姉はポケモンスカバイをする息子を見て「どこにでも行けるからレベルがすぐに上限に達して言うことを聞かなくなっている」とボヤいていた。

ぼくのもっているオープンワールドのイメージは「グランド・セフト・オート」を友人の家でやった記憶に遡る。任天堂機しか持たないぼくが、おもむろにタクシーを窃盗して街をぶつかりながら走ったり、巨大な公園を走ったりしていると、気づいたら警察ランプが二個点いて、車の爆発に巻き込まれて倒れ、自宅に戻っているゲームをプレイし、おもしろ!と思った記憶がある。当時のぼくは、「ストーリーが上手く進めないなぁ」なんて思ったことはなかった。だって散歩すること自体が面白いからだ。

しかし十数年後「グランド・セフト・オート」はストーリーが面白い、ということを聞く。確かに、このゲームはずーっと左のところにミッションが密かに書いてあった。書いてあったはあったが、それって実行できるものだったのかぁ〜。

ここで大人な皆さんはこう言いたくなる。「いやいやそれが本編だから!それやっていかないと、製作者達が丹精こめて作ったゲームのストーリー全然楽しまないことになるから!」あ、そうか、とぼくも大学生ぐらいにやっと気付いたのだ。


ここでオープンワールドの定義を確認する。『オープンワールド(Open world)とは、ゲーム内の仮想世界において、移動的制限の無い、プレイヤーが自由に探索し、目的に到達できるように環境設計されたコンピュータゲームを指す用語である。定められた攻略手順の遵守を要求されないゲームプレイは、「Sandbox(サンドボックス:砂場・砂箱の意味)」ともよばれる』(出典:ウィキペディアの序文)。え、待って、実はこれってすごい重要なことが書いてあるじゃないか!

この中のサンドボックスのイメージは、有名なゲームの中ではマインクラフトのクリエイティブモードが当てはまるのだろう。(やったことないけど。)体力や素材の制限がなく、それこそ砂場に枝で線を引いたり山を作ったりするように、世界を変えていく。この面白さは、ぼくにも分かる。

あえてサンドボックスを先に語ったのは、オープンワールドの「移動的制限のない」という部分に、みんなもっと着目して欲しいからである。我々が思っているより、昨今のオープンワールドゲームの「移動的制限」は多くないか!!???

1つ目は「ストーリー的移動制限」である。いわゆるフラグ、というやつが、なんだかんだオープンワールドゲームにも採用されている。取らなければならない貴重品、倒しておかなければならないボス、話しておかなければならない人……。あるよね。先に進めないよね。

2つ目は「主人公の能力的移動制限」である。レベル上げや、体力、お金、取得していない必殺技、装備などである。勝てない相手に挑み続けるほど、みんなヒマじゃない。

3つ目は「操作しているプレイヤーの技術的移動制限」である。どれだけキャラが強くても、操作が雑なら突破できない。子どもが「進めて〜」と言ってくるから代わりに大人がやってあげるが、未知のエリアに行くのを怖がって、結局いつものところで同じアクションばかりしている、なんてのはこの技術的制限に引っかかっている。


ぼくがこれまでやったオープンワールドのゲームに当てはめていく。ブレワイ。1、ある。パラセールをハイラル王にもらうためにうろついたが場所が分からず数ヶ月積んだ。また、それぞれの地方の神殿に入る前の手順は、結局おつかいかよ!と言いながらやった。

2、ある。解法は何通りもある、と言いつつ、ゴリ押す方法しか思いつかないためにためにひたすら料理を作ったり、体力やスタミナの最大値を上げたりする。

3、ある。特にぼくの友人が詰んだ砂漠は、サーフィンに謎解きにガノンに高難易度のものが揃っている。

ポケモンスカバイ。

1、どちらかと言えばない。ストーリーで魅せたいところは歩きながらの会話で進んだりして、面倒くささを避けようとする工夫も感じる。

2、ある。いっぱいある。地図上にあるジム、ヌシ、スター団。雪のところからやりたいなー。ヌシで泳げるようにならないとなー。あ、レベル足りないやー、え、ジムやらないと捕まえたポケモンが言うこと聞かない?ハァー。(クソデカため息)

3、ない。ただし、子どもはあるかもしれない。


なんかもう疲れて来たのでやめるが、どのゲームにもあるだろう。ダークソウルは2.3はあるだろうし、グラセフにも1.3は大きくのしかかるし、原神も1.2.3あるな。

なんで制限をつけるのか?そりゃあ、その制限をクリアすることがゲームのもたらす面白さ、カタルシス、やりがいだからだと思っている。遊びは、制限をつけることでゲーム、スポーツになる。


問題は、面白さを得るためにオープンワールドという手法がどれだけガッチリ当てはまっているのかである。


ゼルダ。ブレワイだけ見ると気づけないかもしれないが、ブレワイ以前のゼルダは、移動的制限を解放する順番こそガチガチに縛ってあるが、1つクリアした時に広がる広さ、タイミングがバチクソに上手い。ダンジョン内でバクダン使う壁だなぁ〜、バクダン袋ほしいなぁ〜と思いながら探索し、中ボスを倒してバクダン袋が手に入りグッと探索範囲がまた広がる、ここが気持ちいいのである。


ポケモン。パーティにはどのポケモンを入れてもいい。新しいポケモンを捕まえ、手持ちに入れながら次の町を目指すと、トレーナーと戦うことになる。自然とレベルが上がり、進化したり、ジムリーダー倒せたりするかな、倒せた!また次の町で違うポケモン捕まえよう。ついつい起動時間が長くなってしまう。


何が言いたいかと言うと、オープンワールドの形をとることによって、自由だ!感は上がるが、これを達成した!とか、ここまで行った!感は下がるのではないか、ということ。そして、ゲームの一番おもしろいところに辿り着けずにゲームを起動しなくなることが増えるのではないか、ということである。


オープンワールドのゲームの中でも、サンドボックスの要素の強いゲームは、目的を自分で作り出すことができる。しかし、従来の目的達成によって面白さを得るゲームにおいては、むしろオープンの逆の方が、やることが分かりやすく、効率的にカタルシスを得る、つまり時間効率よくゲームの楽しさに触れることが出来るのではないだろうか。


最後の最後に感覚的な話に戻るが、「Switch子どもがほしいって言うから買ったんだけど、いいゲームない?」と聞かれたら、ぼくはオープンワールドのゲームはまず挙げない。マリオカート、スマブラ、どうぶつの森、アソビ大全、スプラ3辺りを挙げる。オープンワールドは安心できる場所が少なく、うっかりすると草原にぼーっと立っているか、装備画面とにらめっこしているか、そんな画面ばかり周りに見せることになってしまい、どこかつまらない。


新しい機能を開発したとして、それは面白くする、という目的を達成するための手段である。手段と目的の順番を考えろ、とはどんな業界でも言われるが、ゲームは後々まで残る作品なので、本質的な面白さを追究してほしい。その中で、現在の技術や表現レベルに、オープンワールドという形がふさわしいかどうか、続けて考えていってほしい。


読書の秋である。手塚治虫の『火の鳥』を読んでいる。史実に「火の鳥」というウソを1つ混ぜ込ませる作風は、今でも文学作品をおもしろくする手法の一つである。一つのファンタジーを混ぜた時、それ以外の部分がリアルであればあるほど、ファンタジーが際立つ、こんなの誰が思いついたんだろうな。

なんだか、みんな今週は疲れているように思う。ハァ……とため息も聞こえるし、寛容さも目減りしてきて、でも持ちこたえようとしている。糖分だ、糖分を持ってこい!

珍しくswitchが「ビーーー!!」と言ってフリーズした。特別な入力はしていないはずなのだが、64くらいの原始的な音がしたので、ちょっとびっくりした。電源が入らなかったが、12秒くらい長押しして「ブチっ」と音がしてから、再度電源をつけたら直った。今は、検索すればすぐにこういう解決法が出てくる。まさに、機械のことは機械に聞け、である。

Aがマリオパーティに興味をもち始めた。プレイを楽しそうにしている動画を、ゲーム本編だと思って、コントローラーを振って楽しがっている。寝かせるためにろう下に出そうとすると、「イヤイヤ!」とイヤイヤ期全開。マリオカートかマリオパーティをやらせてやろう。妻はなぜか、「1人のマリオじゃないとマリオとは言えない」などと厄介なオタクと化している。いや、マリオとマリパは別ゲームでしょう。


頼もしい、一歩。


インターネット対戦は、人を幸せにしているのかどうか。スマブラ中毒になっていて、ふと思う。これを磨きに磨いた先に、何があるというのか。ま、趣味ではある。趣味ではあるのだが、心がどうにも落ち着かなくなる趣味である。なんというか、もっと心に波の起きない趣味を望んでいるのではなかったか。読書、アクアリウム、ガーデニング。ネット対戦だけだ、こんなに感情を出して戦わなければならないのは。ネット対戦じゃないゲームをやってみようかと思う。そもそも、ゲーム=ネット対戦ではなかったはずなのだ、ゲームを遊ぶということは。たくさんのゲームをクリアすることも、遊ぶに入っているはずなのに。こんな中毒になるのは相手がいるせいなのだろう。製作者との対話をしよう。

朝はカラオケ。夏休みだからなのか、カラオケに入れない人も出るくらいには混んでいたが、一人なので入れた。前の方が気持ちよく声が出ていた気がする。それでも、悪い中でも声を出すことができたと思えばいいのかもしれない。The・アニソンみたいな曲を歌いたくなり、デカレンジャーやブンブンジャーのOPを歌っていると、アツいアニソンシンガーってナニモンなんだよ、と疑問が思い浮かぶ。普段何をしているのだろう。歌ってるのか。

冷凍メンチカツを揚げたが、3つ重なっているメンチを油の中でバラそうとしたら、周りからボロボロ崩れて、メンチ3こ分のクズ山ができあがってしまった。食べたらちゃんとメンチだった。「ハラに入れば皆同じ。」某レミさんの名言である。


頼もしい、一歩。

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