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うんこをしたら気がラクになった。19時だが。昨日は風呂をスキップして12時間寝た。正気の沙汰ではない。夕食に食べた白身魚のフライを思い出し、うれしくなった。子どもがセキばかりしていたが、薬を飲んだらだいぶんよくなったように思う。

明日、なんでもいいからいっぱい食べたい。肉でも、揚げ物でも、寿司でも、パスタでもいい。スパゲッティが一番たくさん作りやすいかな。

肩がおかしい。ボキボキ言いそうで、言わしても違和感がとれもしない。骨とつながっている部分を引きはがして、自由に動かしたい。

自由を求めた先に、無しかない、それを確かめに行こう。


頼もしい、一歩。 


ギリ、さわやかに出発。下道でゆっくりドライブしながら大きい街へ。途中、一方通行迷路に入り込んだが、どうにか攻略した。大体の方角が合っていれば何とかなるものだ。子どもは寝てしまったが。とりあえず公園で、妻の作ってくれたおにぎりとミートボールと玉子焼きを食べる。外で食べるご飯というのは、なぜこんなにもおいしいのか。なんともまったりした時間になった。

ついにお目当てのジブリパーク展へ。いくつか展示があったが、正しくは宮崎吾朗展だった。それにしては、駿要素がちゃんとあったと言うべきか。ねこバスの巨大ぬいぐるみがあり、ちゃんと中に入ってふわふわなイスに座れたのはよかった。子どもも、ふかふかを味わってなかなか次に進めなかった。『アーヤと魔女』の3DCGの作り方は、すごいんだけどイラストボードの一次元創作の緻密さの方が心ひかれるものだったな。もちろん、リアル以上の背景にしているグラフィッカーもすごいんだけど、クリエイターの魂みたいなものを感じたかった。トトロの草壁さん家も、カオナシも、実際にいるのすごかった。子どもも、この辺はテンションが高かった。もちろんユバーバも。妻の最低限見たいものを見せられてよかった。

子どもが飽きてきて抱っこから降りたがるのと、暑さと、ジェラートをコーンで買って子どもが座らないので、車に座らせるためにジェラートが無限に溶けてくるのでイライラがMAXに。もったいない、と感じる心を捨て去り、無になって車に行く。濃厚さがなく、サッパリ感だけのアイスだったが、300円だからこんなもんか。

妻が夕飯にちょっといいものを、というのでスーパーへ。いろいろ買ってちょっとうれしかった。妻もたくさんドライブして、ドライブ欲を発散できたかな。


頼もしい、一歩。


朝、起きても、世界は特に変わりもしなかった。朝、パンと納豆を食べ、この日記のタイピングをひたすら行う。やっと、こういうことをしてもイラつかなくなってきた。心の平穏を保つための休憩時間だった、というわけか。ラジオを聞きながらやっているのも、やっと普段を取り戻した、というカンジだ。

昼はラーメンにほうれん草とネギとウインナーをぶちこんだ混ぜラーメンを食べた。野菜の入れすぎで、味が薄いような気がしたがまぁいいだろう。全部食べたので。

無職になった、一軒家、車、子持ちのyoutuberの、実際に無職になってみたレポートを聞くと、一度転職を経験したり、バイトをやってみたり、という経験自体が気持ちをラクにしてくれる、ということはそうなのかなぁと思う。いやー、転職、してみたいなぁ。人生の経験として、無敵の人になる条件として、もうやってみたらいいんじゃないかと思う。引っ越しとか転勤とかと同じで、それがやりたい人が集まってきて、必要なくなってきたら散っていく、ただそれだけなのだ。やろうと思えばハローワークに行ったり、タイミーやったり、なんでもできる。そう思うと、今の状況が別になんでもないような気がしてくるような、してこないような。

『ダンジョン飯』の続きを見ながらポトフを作ると、人間の生活というものが戻ってきたような気がしてくる。ガンダム1話だけ見たりもした。そしていつも通りに風呂と服薬。明日はまたピクニックに行こうとしている。やりたい気持ちが増えたらいいなぁ。


頼もしい、一歩。


夕飯のカレーをもう作っていたので、時間を考えずに歩いて図書館に行く。『生きているけど、死ねもしない』みたいなタイトルの本があるかなぁと思ったらちゃんとあった。大学教授になった哲学者の人が、4人の若者と対話する形式で流れていく。生きる気力が湧かないが、死ぬ気力もない、ひたすら問答を見ているだけで、自分がどうなるか、心が変わっているような気も起きない。今、ふり返ってみても、何も心に残っていないことが再確認できた。結局、生きていたら何かの目的や目標に当たる、というのが結論っぽいもので、もしこの考えを突き詰めたいのなら、大学教授になるしかない、ということでしか、記憶に残っていない。

『DEATH』という、イェール大学で23年間、最も評価の高い講義という触れ込みの本も半分くらい読んだ。死というものの、全てを考えた上での公平な考えを書き連ねられている。人生の意味については、後半で語られるようなので、もう少し読み進めなければならない。

夕食に玉子とウインナーを焼いて、子どもと妻に食べてもらう。なぜ、生きるのか。ちっぽけな人間の、ちっぽけなよろこびに、果たして意味はあるのか。今は、どう考えても意味がないとしか思えない。もちろん、幸せを追うこと、成長し続けることが意味あることだと、心から思えるのなら、それでいい。けれど今は、くだらないヒトの、くだらない生において、どんな生き方をしても同じだろ、と思う。料理も風呂掃除も頑張っている。生活を頑張れるのは、病気をどうにかすることができているからなのだろうか。とっとと、安定したい。自分を信じたい。


頼もしい、一歩。


最終的に腹が痛い。通院。ふり返ってみると、全てが頑張れそうだった4月始めと打って変わってコロナに苦しめられ、全ての行動や規則的習慣がぶち壊しになってしまっていたことがわかった。なんとなく、全てが無力な感覚。これが病気によるものだと、太鼓判を押されたことがよかった。努力がどうとか、生きる意味がどうとか、そういうことは考える必要がないと、心から、思う。

昼にはワンパンぺぺたまを、いいベーコンを使って作る。なんだかもうタマネギすらいらない。なんだかよくわからんが、なんだかうまいように感じる。もう別にそれでいいや。

コロナの後遺症で、味覚はあるが、嗅覚が完全になくなってしまったように感じる。食べられるが。食べても楽しくはないし、作り甲斐もない。

夕食は、カレーの作り置きと、シュウマイと揚げ物を食べていく。子どもはパンの半分をバクバク食べてしまって、他は食べなかった。

カレーの根菜に反応しているのか、腹がゴロゴロしてたまらない。とっとと寝るに限る。とにかくスマホをずっと触ったままにしないこと。ためになる、というより、風景のような本を読むことにしよう。9時に多少、眠たくなる、世界に万歳。


頼もしい、一歩。

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