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今日も目標は一日タテになっていること。朝から水やりエサやりとしっかりと仕事しつつ、動画を見て笑う。やっぱりこうあった方がいい、というのが堂々と破られているのがあまりにもおもしろい。共通言語があって、それが言わずもがなわかり合えるのが、不思議でおもしろくて見てしまう。

昼はもう全部ぶち込んだカルボナーラ。玉子の白身を分けていたが、めんどうで全部いっしょくたに入れて、玉子を入れて、ピーマンタマネギウインナーと炒めたパスタ、おいしくないわけないじゃない。

午後も動画を見つつ、水槽の水替えを2週間ぶりにやってあげた。子どもや妻がいない方がもちろんやりやすい。まぁ、自分がスッキリする以上の効果はないのだが、まあまあになってきた、ということか。

スネの筋肉がつりそう。そうとうなでたのだが。使わなさすぎなのだろう。骨と肉の間がゴリゴリする。むしろ毎日さわってやろうかとも思う。シップを使うか?

子どもが真剣にポケモンを見ている。カビゴンを見ると「ねんね」と言う。全てを含めて、かわいい話だなぁと思う。コダックとか、ニャオハとか、お気に入りはいくつかいるのだが、一番反応がいいのがカビゴンなのは、なんだかおもしろい。強くなくていいから、パワーがあってほしいなぁ。


頼もしい、一歩。


虚無主義に囚われている。稼ぐ、虚しい。儲ける、虚しい。楽しい、虚しい。おいしい、虚しい。頑張る、虚しい。できる、虚しい。できない、虚しい。ゲーム、虚しい。スポーツ、虚しい。文章、虚しい。創作、虚しい。やる気、虚しい。ブログ、虚しい。動画、虚しい。見る、虚しい。やる、虚しい。料理、虚しい。読書、虚しい。仕事、虚しい。寝る、虚しい。勝てない、虚しい。薬を飲む、虚しい。病院、虚しい。音楽、虚しい。経営、虚しい。大企業、虚しい。会社、虚しい。学校、虚しい。片付け、虚しい。負け、虚しい。勝ち、虚しい。電気、虚しい。電話、虚しい。本、虚しい。できることがない、虚しい。やることがない、虚しい。食べたいことがない、虚しい。稼いでやりたい、成し遂げたいことはない、虚しい。時間がある、虚しい。うれしい、虚しい。節約、虚しい。上手に字を書くこと、虚しい。

野球、おもしろい。9回3ボール2ストライク2アウトというのは、なぜこんなにも心が踊る。結果が見えないというのはとても幸せなことである。自分のことはこんなにも虚しいのに、野球はこんなにおもしろく感じる。おもしろさや楽しさや安心のために生きているから、それが保証されてしまったら、それ以上にも以下にもならない。無痛主義は人間を殺す。生きていることと死んでいることを同質にする。小手先のライフハックというのは、心を殺して実益を取る方法なのかもしれない。ムダなこと、やろうではないか。ムダなことを、味わおうではないか。


頼もしい、一歩。 


ひどい。体全体がダルく、筋肉にきしみが走って、もうまともに動かない。メシも作れず、買い物にも行けず、風呂掃除もできず。ただただ妻に任せる。頼る。うれしいはうれしいのだけれど、返せるものは何もない。ないのは別にどうってことないのだが、なにかで返してあげられたらいいな。

ひたすら岡田斗司夫の4タイプ診断をしている動画を見ている。一人で、アリの行進を見ている法則型なのかなぁと思う。理想というには思想が強くないし、司令というには全体への影響力が少なすぎる。ということで診断サイトがあったのでやってみたら法則だった。それも、めちゃくちゃギリギリ理想型に踏み込む前の法則。とにかく、目立ちたくはない!というのが性質的に備わっているように思う。やっぱり、もう辞表を書いておこう。←このCM、めちゃくちゃ多くなってきたな。

MBTIという診断もあるが、そもそもこういう診断で何かを決めたがるというのが法則型あるあるな気がする。占いはイヤなのに、こういうアンケートでとった、みたいなやつは知りたい!と思ってしまうんだよな。知識欲に正直に、行きたいと思います。


頼もしい、一歩。


1日中、自分は何もしなかったが、いろいろなところに行き、いろいろなものを食べた。やはりこれが基本姿勢になっていて、この子ども的メンタルをもちながらやっているが、成り立たなくなってきているのかもしれない。けど、そんな自分を認めてやりたい。それでもいいし、そこからステップアップしてもいいんだよ、って。

ニチアサを見た後、タイヤを交換した。ぼーっと見たり、自分で作業をしたり、を繰り返すと、この作業も有限のものなんだなぁと思いながらやった。

次は寿司屋に行った。思いつくものを順番に頼んで、がぶがぶ食べる。穴子がうまい。デザートもきちんと食べた。ほとんど無意識。とりあえずうまい。子どもはあまり食べなかった。かなりおやつを食べていたからかもしれない。

そのあとドライブ。母の実家の方向に突き進み、ギリギリ海が見えるところにタッチして、戻ってきた。途中でソフトクリームを買って食べた。めちゃくちゃうまかった。こういう気持ちに素直にそのまま生きる、ということが、普通なんだなぁ、なぜ逆張り、逆張りにならなければならなかったのだろう、と思う。誰もがいいな、と思うことを、当然自分も「なんだかいいな」と思いがちになるけれども、なぜかそれとは違う幸せがあるんじゃないかと思ってしまうのはなんでなんだろう。それも、細かく知ろう、というよりか、チューニングを合わせていく方法が知りたい。いや、本当はもう知っている、それに慣れることの方が必要なのかもしれない。子どもは睡眠時間がとんでもなく多くなって、まぁ1日の半分以上は寝ていた。車というのは寝心地がいいものなんだろうなと思う。


頼もしい、一歩。 

ヒューリスティクスがなぜあるのか、ということについて考えていく。簡単に言うと、価値として合理的ではない行動をとってしまう、目の前のものを高く評価し、遠くのものを低く評価するであったり、一度持ったものを手放したくない、であったり、同じ価値の増え方をしていても、低いが高いに変わる時より、高いがもっと高いに変わる時の方がうれしさが低くなったりする。今まで、「いやなんでそんなズレた考え方なんだよ、しっかり価値が高くなったことを高くなったと考えればいいのに。ヒューリスティクスが残っていると、得が損に変わってしまう。」と、ヒューリスティクスを忌むべきもの、排除すべきもの、その通りに感じない方がいいことだと思ってきた。そう思うことで、自分は真の意味で得をする、真の意味で本質を知ったものになる、と思い込んでいた。

この、価値と感じ方が違う、というものを、始めは不思議だなぁと遊びのように受け止めていた。けれども、いつしか知識を生かさないと損だ、知ることで引っかかってはいけない、ということを過剰に意識するようになり、ひっかからなかったことそれ自体に快感を覚えるようになっていた。でも、よくよく考えてみたら、自分の感覚にフタをして行動を決めることになることに、ここまできて気づいた。別に感覚の通りに生きて、損することもあるだろうけれども、人生ぶっ壊れるなんてことはそうそうない。思い付きで動くことを、悪だ悪だとやらない。あ、こう感じているなぁ、と自覚することを多くしていこう。縛りプレイは少数派の楽しみであり、せめてそれを自覚しよう。


頼もしい、一歩。

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