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焼肉を食べると決めて始まった日。やはり労働とご褒美はセットであるべきなのだろう。予約を入れて行ったが、まぁしなくても入れたな。あまり、みんな儲かってはいないのだろう。

はじめにタン。そこからハラミ、カルビ、ハラミ、肉厚カルビ、ロース、ハラミ、薄切りロース、カルビ、、、延々と肉を注文する。なんてったって食べ放題だから。黒ウーロン茶で口を冷ましながら、カルビ、ロース、ハラミ、カルビ、ハラミ、、、。ほぼループだ。Aはたこ焼きをたくさん食べた。ポテトもちょっと。あと、バニラアイスも珍しく食べた。もしかしたら、おいしさに目覚めてしまったのかもしれない。


頼もしい、一歩。


結局皆、資本主義の奴隷なのだと言わざるを得ない。それほど、物質の豊かさというのは明確に、絶大な影響力があった。こういう話を友人にもちかけると、イヤなこと言うなぁコイツという顔をされた。いや、別にいいのだ。昔、信教の自由が認められていなかった時のように、全ての人がいいねと言ってくれる、そんなものはなくなってしまったと考えるのが、さすがに自然だ。

仕事で一日ずっと外に出ていたら、さすがに腕が真っ赤になる日差しの強さであった。

ちょっと閑話休題。ストレートにノビがありますね。←わかる。スライダーにキレがありますね。←わかる。ストレートにキレがありますね←???

話を戻す。ここまで赤くなるまで外に出ていたのは、今年初ではないか。疲れた、疲れたのだが、これぐらいの疲れがちょうどいいのではないかとも思う。よく眠れそうで、いいことだ。

ついに、Aがアンパンマン期に入った。なぜかアンパンマンだけは判別でき、アンパンマンならなんでも手に入れたくなってしまうというアレだ。今はパンを買うぐらいで済んでいるが、外食した時の好みがだいぶアンパンマンに寄っていくと考えると、先が思いやられるといったところ。まあまあ、大した問題ではないな。


頼もしい、一歩。


野球って1年間140試合やる。もちろん分析が進むなどはあるのだろうが、140試合同じ作戦で戦う必要はない。ないのだが、必ず変える必要もまた、ない。ザクレイが言っていたが、格ゲーがジャンケン構造になった時にはじめて、読み合いというものが始まるわけで、めっちゃ強いグーでパーに勝っているなら、ずっとグーを出し続けるのが最善手になる。つまり、読み合いになるのにも、ある程度のレベルの高さが必要になるのだ。何が言いたいのかというと、同じことをやり続けることを合法化する言い訳はたくさんあるから、恐れずにワンパターン戦法を使おう、ということだ。ワンパターンが磨かれて、とてもよいものになることもある。

毎年毎年同じようなことをしているが、全く成長していない。もしかして、一時期の「圧倒的成長」というキャッチフレーズが流行ったのって、みんなは圧倒的成長なんてしていないから流行ったのだろうか。そして、圧倒的成長やてしなくても仕事になるし、損をしたのは圧倒的成長しなければダメになる、と自己否定に打ちのめされた、自分を含む一部の人間だけなのだろうか。なんだか割に合わないなぁ。人間らしところを見せてもよい、とはよく言うが、みんな圧倒的生産力を手に入れるために勉強していたのではなかったのか。少なくともぼくはそうだった。どうやら、いつの間にか貪欲に貪欲を重ねる時代は過ぎ、定常とか、恒常とか、そういう言葉が似合う時代になったらしい。


頼もしい、一歩。


うん、人間というのは成長しないものだ。「若者はちょっと怒られると辞める」「エクセルは再利用できるように組め」とか、「怒るな、叱るな、ほめて伸ばせ」とか、さんざん言われているいることを平気でみんなやっている。さんざん言われているのは、みんなできないけど、こうなったらいいなぁと思っている程度のことであって、実際にこれらを全てこなすニュータイプが現れるとは思ってもいないのだろうな。みんなわざとかってくらいには、小さいことにはリアクションを起こさない。これはわざとなのかわざとじゃないかわからないが、行動できていないのはどちらにしろマイナスだということだ。じいさんばあさんでさえそんなもんなんだから、自分も平気な顔で生活してよいのだ。

友人にSwitchを買うべきか買わざるべきかを問われている。なんだかSwitchの後継機がもう出るというウワサなので、ホイっと買うのも違うなぁと。じゃあSwitchLITEを買うかと言われれば、せっかく友達と遊びやすいSwitchの特徴を殺すことになってしまう、と。メモしていて思った、流行に乗り遅れると、こういうことになってしまうんや。まあ、好きなものを買ってつまらなくても、そんなには後悔しない。好きなモノをガマンすることもないなということだ。


頼もしい、一歩。

ある人は言う。「成長のない人間はばかだ。」ほとんどの人はそういう風には成長しているに見えない。自分は「成長しなければ価値がない、以前と、何かを変えなければ続けている意味がない」、そう呪いをかけ続けてきた。しかし、そう思い続けている人は少数派か、実際に行動の変化につなげられている人が少ないだけか、とにかく前はこうした、それをずーっとブラッシュアップしていない人というのは、たくさんいるのだ。そんな人がたくさんの中で、ほとんどすべてのモノを変え続けようという人はなかなかいるものではないし、変え続けようという周りに変える気がないという引き留め役がいる状態では、それはそれは変え続けることは面倒な気がする。ぼくは毎年、イチから変えて思考を止めることなく、上昇していきたかったのだが、あまりにも大変すぎるのだ。

断っておくが、これは堕落とか、怠惰とか、そういう言葉ではない。強いて言うなら「足並みをそろえる」とか「レベルを変えない」ということに近い。もっともっと急成長することが、できないわけではないが、非常に強い抵抗力が働くということがわかった。また観察を続けるが、自分も大したことはないが、周りは輪をかけて大したことはない。タダの人間なのだから、自分はもう少し堕天した方がよいのだ。

そういうのを、短く表した言葉がある。「上善如水」である。水のように、上から下に慣性をつけて流れるのである。

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