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仕事があまりにも押しに押したので、一周回って休みをムリヤリとった。その午後、『ルックバック』を観た。観てよかった。

まず、この映画を観た初めの感想は、「田舎の絵がめちゃくちゃキレイ」なことである。

漫画が題材の作品というのはいくらかある。特にぼくが見ていたのはジャンプでの「バクマン」か。しかし、ルックバックは、それよりももっと普遍的、人間関係や、過去への戻れなさというのがテーマのように思える。

だからこそ、漫画の表現は「あるある」を踏襲する形であり、学校の描写、田舎の描写、翻って都会の描写がものすごく丁寧であるということが、映画後半の流れに効いてくる。


【ルックバック感想あるある】

ぼくがこの映画を観る前の評判は、

・演出がすごい、これは映画の作り方自体に変革を起こすだろう。
・才能が、さらに上の才能と出会った時の、何とも言えない悔しさ、ままならなさがすごい。
・クリエイターは、絶対に一回は見た方がいい。

というようなものだった。

ぼくも、明らかにそっち(オタク気質の陰キャ)であるので、なんというか、もっとジメジメした、又吉直樹の『火花』みたいな、結局何物にもなれない悲哀、みたいなものを想像して入っていった。

当然、それを覆してくれたので、どう覆ったかを書いていく。


【結局、どこがよかったのか】

つまるところ、「圧倒的普遍性」がこの映画のキモであり、「才能がある/ない」「元気がある/ない」「人気がある/ない」「忍耐力がある/ない」なんてのは、スパイスですらない。

では、どこに普遍性があるのか。それはかの大きな出来事が起きた後、京本の部屋の前で、小学6年生の時に描いた漫画が、ジャンプから出てきた時。

この瞬間、この漫画を描いた時から、今までの、過去を振り返る。


そして、藤野は思う。


この映画を観ている人も思う。



「おまえなんでそんなこと続けてんの」



『ルックバック』本編では、なんだかよくわからない力で、京本の助けを借りながら、藤野はその答えにたどり着く。結局、生活は続いていく。

藤野の後悔と、京本の想いが、「漫画」を軸にクロスして、藤野のとった解釈はあえて言葉には出てこない。が、その解釈を観客に想像させるのも、またをかし、である。


しかしながら、「この映画を観ている人」の、答えは出ないままである。


多分、30才くらいまでに、負けず嫌いの人は、少なくとも何度かは考えたことがあるだろう。「いやいやなんでこんなこと続けてんの。」

藤野が「漫画なんてさぁ、つまんないし、めんどくさいし、描かない方がいいよ」と、つぶやく。これはまったくもって、現実の社会を生きる我々が、くり返しつぶやくことになる台詞である。

「じゃあなんで続けなきゃならないの。」

この理由を胸を張って言えるようになった人には、この『ルックバック』という作品は、とても陳腐で、怠惰で、退屈に見えるだろう。

しかし、実際にはそんな人はいない。

ある時、胸を張って理由を述べることができても、時がたてば、そんなものは平気で忘れてしまう。

藤野も、大きな出来事があったから、一度そう思っただけで、また「なんで漫画描いてるんだっけ」と思う時が来るのだろう。

その、よりどころを忘れてしまうことを、「人間の弱さ」ととるのか、「人間の強さ」ととるのか。

そして、あなたには、そのよりどころはあるのか。

人生の宿題になるような問いを、出すだけ出されて、日常に戻される。



ここまでセットで、『ルックバック』である。



【蛇足】
話の構成が「君の膵臓を食べたい」に似ているような、そうでもないような。
しかし、別の味がするので、「君の膵臓を食べたい」を読んだことがある人にも、とてもおすすめです。


泥沼に沈みこむように、「ワールドツアー」をやっている。ヤバイよこのゲーム。


「ワールドツアー」は、ストリートファイター6のモードの一つで、自分のアバターを作り、世界中にいるプレイアブルキャラクター(リュウやケン)に弟子入りして回り、必殺技を覚え、最強の格闘家になるよう精進していく、というのが概要である。うっすらストーリーもあったりするが、大切なのはそのコンセプトである。

「俺より強いやつに会いに行く」がスト2のキャッチコピーであることは有名だが、このモードが本当に強いやつにもまれて自分も強くなっていく手触りがある。

オープンワールド全盛のこの時代に、あえてワールドマップをはさんだ箱庭的マップを採用しているが、メインとなるメトロシティとナイシャールのマップの巨大さ、作りこみ、ファストトラベルなど、もう十分だよこれで、という気にさせる。

そして実はこれが一番大切なのではないかと思うのが、爆速のロードである。普通にトコトコ歩くところから、エンカウントして3秒にも満たないくらいで、いわゆる2D格ゲーの画面に切り替わって「Fight!」の掛け声がかかる。これがとてつもなく気分がいいのである。

マップにはかなり多い人数のNPCがいるが、約半数のNPCと、その場で手合わせができる。すごくないかこれ。グランドセフトオートの格ゲー特化版みたいなゲーム性で、ひたすらレベリングを繰り返してしまう。

現在40レベル付近で、敵ステータスのすべてが自分の1.5倍くらいになってきて停滞を感じているが、これももはや楽しみが長く続けられると、プラスにしかとらえられない自分がいる。

カプコン、恐ろしい子!?

そして発売から何年後にすばらしさに気付いているんだよというツッコミも、お待ちしています。


ありがとう、Switch2!


ようやく最新機器を手に入れ、どんなゲーム体験ができるのか。

もろもろのアカウント登録地獄、ダウンロード地獄を乗り越え、そこにあったのは、

23の砲台から打ち出される障害物地獄であった。


やっぱり、インターネット対戦で勝ちたい!8000まではいかなくとも、7000まではレートを上げたい!

こうなってくると、いかにストレスなくレースを終えられるか、ということしか考えられなくなる。発売当初に購入した友人とプレイしたら7000越えの友人につられて、8000以上が半数を占める部屋にブチこまれてしまった。みど3、あか3、そして効果的に使えない自分のキノ3、キラー……。一人プレイに戻る自分を、恥じないように、恥じないように、そっと抱きしめる。

攻略記事を血眼になって探していると、あるブログ記事に突き当たった。




※ 許可のない引用ですので、不都合があれば教えてください。



近年、「信じること」はバカにされてきた。科学的考証による宗教の陳腐化、カルト宗教の台頭、SNSによる情報の氾濫。しかしながら、この記事はぼくに、もう一度インターネット対戦を頑張ってみないか、マリオカートワールドをやってみないかと語りかけてくる。



ぼくにとって、この記事の中で大切なことは、


①各キャラ、各カートには、走路、悪路、水路の3つに分けた隠し性能差をもっている。

この道路の性質が反映されているかどうかは、走行中のカートのタイヤを見るとわかる。普通のタイヤが走路、バカでかいタイヤになったら悪路、水上スキーみたいになったら水路である。


②当然走る時間は走路が圧倒的に長く、加速が速く、かつ走路に特化したカートがコゲッソーのみである。

なお、コゲッソー走路の最高速は、非走路特化の重量級カートのそれに匹敵するらしい。


③各重量に、走路得意のキャラクターがいる。

詳細なキャラクターは、引用元を参照のこと。


の3つである。


この記事を見つける前にグランプリは制覇してしまったので、サバイバルで試してみる。

デイジー+コゲッソーは、2位にずっとつけたのだが、トゲゾーは来ず、後ろから赤コウラで狙撃され3位。

これで「先行逃げ切りの方が、サバイバルの下位がいなくなっていく仕様とかみ合って勝てる」という気付きを得て、ポリーン+コゲッソーで理想的な先行逃げ切りができた。


このブログ記事の信憑性はわからないのだが、検索上位に来ている有象無象の攻略サイトよりも、ぼくの中では信憑性がある。それは、このブログを書いているぼくと同じように、「自分がおもろいと思っていることを書いている」ことが伝わるからである。



「コゲッソー」で検索すると、ガボンだらけのランカー帯のスクリーンショットが出てくる。ガボンカートワールド。実はこの一強状態はマリカあるあるなのだが、引用元のブログ記事は、ガボンコゲッソー地獄に差す光明に他ならない。

そして、かっこいい、かわいいキャラをコゲッソーに乗せ、インターネットの波に乗る。

その先にある、レインボーロードを目指して―—―




P.S.

前評判よりも、フリーランが楽しい。30分くらい、コスチューム出しながら、Pスイッチ攻略しながら、ダッシュ板を踏んでいると、それだけで楽しい。購入を迷っている人は、とりあえず買って損はない。

当然、記事名は語呂ありきで決めたので、元記事から、自分好みの走路特化キャラを選んでほしい。特にトッテンというキャラには全くぼくの心が動かないので、CPUではポリーン、対人ではベビィマリオかキノピコを使いたいなぁ。

もちろんガボンを否定する気はない。検証を進めると、環境は変わっていきそうな気はする。


さて、DLの終わったストリートファイター6も触ってみます。


【WBSC eBASEBALL パワフルプロ野球】というゲームがある。インターネットのダウンロード買い切りソフトで、なんと!100円で買える。買った直後こそ、ヒドいラグを感じてプレイする気が全く湧かなかった。しかし、時を経てプレイした今、改めて、100円でイライラを買ったみたいで、とても悲しくなっている。

以下は、ストレスフルだった点を書いていく。このパワプロ、安くて試合集中で好きなのに......という方は、閲覧注意です。





【目次】
① バッティングの読み合いが読み合いになってない。
② ピッチングの読み合いが読み合いになってない。
③ その後







【① バッティングの読み合いが読み合いになってない。】

 相手のボールが速い、これはまぁいい。ミートが大きい選手を使っているが、すっごいカス当たりが多い。これ、ボール玉を打っているせいかなと思ってちゃんと振らないようにしても、あんまり強い球を打てない。「ミートを大きく設定されている選手」のイメージが、相手がどんなボールを投げてもボールをカットし続けてファールを打って、いい球を待つイメージなんだけど、すぐ弱いゴロがフェアゾーンに飛んで処理されるのがすごい不愉快なんだよな。もう三振になった方がいいんじゃないかとも思っている。

 強振を使うと、まずボールに当たらず、ミートを使うとずーっとカス当たりになる。もうおもろくないやん。

 バッティングって、能力が低くても真芯に当てるかどうかが重要じゃないんか。雲海の改造ストレート(ホワイトストーム)を低めに投げられ続けるだけで打てないって、ゲームとして破綻しているとしか言いようがない。そしてそれを破壊するのがファール粘りでスタミナ切れ狙うとかじゃないんか。読み合いが読み合いになっていない、返す方法がない一方的な蹂躙になっているのは、正におもんないんじゃ。



【② ピッチングの読み合いが読み合いになってない。】

 当たり前なんだけど、相手のミートカーソルが見えないので、どこに目付しているのかとか、タイミングが合っているかとか、全然参考にならない。最初、最後のミートカーソルの位置で選手の首の動かし方(振り向くとか、内角投げられてのけぞるのか)が変わるのかと思ったら、何も変わらない。

 そして、相手にはひったすらホームランを打たれる。ヒットではなく、ホームランばかりなのである。パワプロなんだから、別にプロレベルで打てない設定じゃなくてもいいんだけど、自分はあまりにも打てないし、ヒントもないのに相手だけはポンポン打てて、イライラしかしない。

 顔を突き合わせた対人戦だと、相手のミートカーソルが見える。なので、ピッチングのしがいがあるというか、相手の裏をかいている感が伝わるではないか。そのピッチャーをさらに読んで打つ、というのがパワプロあるあるではないのか。

 しかしこのゲーム、バッターはバットを振らなければリアクションしないので、ずーーーっと動いていない相手がいきなりホームランを打つ、ということが繰り返される。コレがもう本当になんとも言えないイライラをもたらすのである。

 打たれすぎて気づいた、これ相手みたいにボール球を打たせてゴロにすればいいと。フォアボール覚悟で延々内角低めに投げる。一球目空振り。相手もずっと強振なので、そのまま130キロ後半のスライダーを投げていると、乱数で明らかに斜め下に外れた。



「「「ガツーン!!!!!」」」



 もうでっかい声で、「いやいやいやいや!!!」と。

 ボール球連発の攻略方法は、さすがに「フォアボール狙いで振らない」じゃん。強振でストライクゾーン外のボールに当たらないようになっているようにしか見えないじゃん。その明らかなボール球をホームランにされるのは、完全にゲームに見せかけた蹂躙じゃん。



③ その後

 いろいろなブログを見る前から、ロックオンレベルを最大にするといいのだろうと気づき、した。ゴロの山である。「ファールでカット」ということができないので、タイミングがよくないとヒットにならないということなのだろうが、そこが一番難しいのに、なぜシビアなのか。本当にゲームになっていない試合しかできなかった。

 ピッチング2度押しでベストピッチ連打しないと話にならない、という記事もあったが、このベストピッチ、スタミナ毎にタイミングが変わるというのも本当に苦しい。あまりにも初心者お断りすぎないか。ホームラン連打されていたのは、ベストピッチじゃなかったからってこと?何のためのピッチャー能力なのか。

 ちなみに、この記事を書いた時点で1勝10敗である。イライラしかしない。ソシャゲみたいなもんかと思っていたが、プレイ人口が少なすぎてもう何千戦もプレイしている修羅と平気で当たってボコされてしまう。さすがに、インターネット対戦が悲しみを生んでしまっていると思わずにはいられなかった。


安すぎて普通の通販サイトには載っていないので、公式サイトリンクを載せておきます。

https://www.konami.com/pawa/wbsc/ja/


500ページを超えるこの本を読み切った感動で、この書くことにする。この本のあらすじとしては、ピアノコンクールに出場する4人の登場人物を軸に、それぞれの心情を描いている。

恩田陸のもつ傾向として、心の中の描写が「個人的に」退屈である。他に『天地人』『まひるの月を追いかけて』の2作を手に取ったが、それは非常に退屈に感じてしまった。

なぜなのかと分析しようとしてみる。恩田陸は客観的事象を描写することには非常に長けている作家さんだと思う。薫風の吹き抜ける大草原、厳かな山岳、おおらかさと荒々しさを同居させている海、こういった描写があるたびに、ふぅっとため息をつきたくなる。

それが人物の内面の描写になると、客観的立場に立ちすぎて、解釈を一定にしたすぎて、なんだかもう疲れてくる。それは、ONEPIECEの回想が何話にも渡って行われて、今何に立ち向かっているのかわからなくなってしまうような、FF13のような一本道、操作よりムービーシーンの長いゲームのような、涼宮ハルヒの憂鬱のエンドレスエイトのような、必要なのはわかる、わかっているんだけど読者の勢いをそいでしまう何かがある。

本著はこの2つの恩田陸の特性とミラクルに合致した作品であり、間違いなく読んだ方が読書経験としてよいと感じた。

客観的事象を描写する美麗さが、ピアノコンクールの演奏時の美麗さにそのまま直結している。私の経験上、本著のような音楽経験は全くないのだが、それぞれのコンテスタントの描写は、なぜか魂に伝わる。ピアノの繊細さ、鳴り方の雄大さをを事細かに語ってくれる。ピアノを弾いている時の心理描写がほとんどなく、他の誰かから見た評価というのが重要で、これは小説だからこそできた表現である。このことにより、それぞれのコンテスタントのすばらしさを読者に効果的に伝えることができている。

人物の内面を語る長さについて、この攻略法が、多様な主人公を用いる、という物量での解決を行っている点が、本当に唯一無二であると感じている。普通、物語というのは明確にそれを語らせる主人公が設定されていて、それが複数いるということ自体が物語のウリであることさえある。多くても2、3人だと思うのだが、本著は、三枝子、マサル、塵、奏、明石、亜夜、これらの視点を巧みに使い分けなければならないので「一人の登場人物の内面を延々と語る」のが不可能になった。それをすると、誰かの視点が不要なものになってしまい、それは本著のコンセプトに反するのである。

しかし、そんな作品の中で、あえて主人公は誰かを探ってみることにする。そうすることで、また一つ感動の要点のようなものが掴めるような気がするのである。

以下は莫大なネタバレを含むので、注意して閲覧してください。
















① 栄伝亜夜
一番、「この人のためのストーリーである」と言い切りやすいのは、亜夜だろう。幼少期に挫折を味わい、今回のコンテストに参加することで、塵、マサルと会い、そのかかわりと、何より演奏に触れて、幼少期の挫折を乗り越えてこれからの未来に明確につながったコンテスタントである。

登場人物の関係図を作った時に、亜夜を軸に関係が作られていることがわかる。塵とマサルは互いにひかれあうものはないし、明石と亜夜の関係は生まれれど、明石とそれ以外のコンテスタントのかかわりはほとんど描かれていない。

亜夜を引き上げた塵とマサルの圧倒的な実力は、眠っていた亜夜の才能を再び呼び起こすには必要だった。それは、ナサニエルと三枝子の会話から簡単にわかる。

心のコンプレックスが圧倒的に解消された、その一人である。


② マサル
一方、このコンプレックスの解消、という面においては、マサルもこの作品内で大きく成長している。もともと才能がありながら、その努力の過程が多く描かれたマサルは、最終的に作曲、新時代のショパンになる、という自分の目指す方向性をこの作品の中で見つけることになる。

もともと自分の中にくすぶっていた火が、このコンテストを通してちゃんと燃やすべきだ、燃やす環境は、自分で切り開くべきものなのだ、そんな心の流れをたどる。

その心の流れは、亜夜との再会、塵との出会いによるものであり、なんだかんだ心境の変化が描写された人物の一人である。


③ 明石
出ました、社会人の味方。実力自体は高いものではないのかもしれないが、日本の大人から見ると、この明石に共感するところが非常に大きいのではないのだろうか。

雅美のインタビューの中で、生活者の中の音楽をやりたい、と語っているように、ほぼ自分の方向性があって、でも舵を切り切れない自分の中の葛藤と戦う様が、やはり現代日本の読者の中にあるものとほとんど同じなのではないだろうか。

情報はある。情熱もある。可能性もある。信じ切る力だけがない。そうやってくすぶる人のなんと多いことか。

明石にとって、このコンクールに出場すること自体がチャレンジであり、カンフル剤であり、勇気づけであった、それは明白である。


④ 塵
この物語の中で、塵が蜜蜂であり、遠雷である。それは間違いない。塵が戦っているのは、師匠との約束である。この物語の中で、塵は、登場人物を媒介にして夢と対話し続ける。生け花、調律師、他の人物が関わらない事象ともかかわって、音楽を外に連れ出す、音楽を外に還元することの真実を追求し続ける。

圧倒的な実力と、これまでの音楽にとらわれることのない演奏で、批評家たちの意見を真っ二つにする様子は、明らかに雷であり、この物語にアクセントとして、大きな広がりをもたらしている。


⑤ 三枝子
コンテスタント外から、この三枝子を取り上げる。他のコンテスタント外の人物はあくまでコンテスタントにぶら下がる形で存在しているのだが、三枝子のみ、始めと終わりを司る重要な人物であるため書いておく。ナサニエルとの関係において、この作品内で心情が変化する。それはユウジの形見である塵の演奏であったり、コンテスタントの進化であったり、飲み会の度にこまめに心情が描写されていくところに過程が現れている。


とりあえず、候補を出した。以下は、物語における主人公の役割について考えていく。

【心情が語られているのが主人公?】

小学校中学校で学習する物語や、夏目漱石「こころ」など、徹底的に心理描写が主人公に限られている作品は多くある。基本的に主人公の語りで進み、不思議な行動の確信が犯人から語られることも、この主人公イメージに近い。

ただ、『蜜蜂と遠雷』に置き換えると、6人以上の人物に当てはまってしまうのでうまくいかない。


【タイトルに書かれている者が主人公?】

『桃太郎』『ドラえもん』『暴れん坊将軍』『名探偵コナン』『ハリー・ポッター』などたくさんの作品が、主人公となりそうな人物の名前をタイトルに据えている。前述したように『蜜蜂と遠雷』は塵を表していることは当然だ。

しかし、この論には当てはまらない作品もたくさんある。ミスリードというやつである。

先に挙げたものの内、『ドラえもん』は、実はドラえもんの心理描写よりものび太の心理描写の方が多いような気がしてくる。映画版『ドラえもん』は、必ず『のび太の』と、タイトルにのび太が付く。

つまり、『ドラえもん』の主人公はのび太なのだが、『その話で活躍するもの』をただタイトルに据えている場合がかなりある。

このパターンの作品は、パッと思いつくものが本当にたくさんある。『ドラゴンボール』で主人公が悟空、『シャーロック・ホームズ』で語りが助手のワトソン君、『鬼滅の刃』で主人公が炭次郎、『エヴァンゲリオン』で主人公が碇シンジ、『機動戦士ガンダム』で主人公がアムロ・レイなど枚挙にいとまがない。

もちろんドラゴンボールやガンダムや日輪刀は、物語を構成する重要なアイテムではあるが、もちろん心情なんてものは存在しない。

タイトルが塵を現わしている、じゃあ主人公は塵だ!と結論づけるのは早計である。

『蜜蜂と遠雷』における塵というのは、主人公なのか。それともキーアイテムなのか。


【それぞれの登場人物が我々に語りかけるもの】

それぞれの人物は、ある存在を代表しているのではないか、ということは以前日記に書いた気がする。

一番わかりやすいのは明石で、才能を称え、また自分も同じラインに立てるように努力する存在である。

一人の天才につき、何人もの明石のような存在が発生すると考えると、もうあらゆるコンテンツにおいて明石がいるのではないか、というくらいに普遍的な存在と言ってよい。

勉学、仕事、スポーツ、、、大体明石のような状態を通っている気がする。

亜夜は、才能があるはずなのに一度否定され、それを取り除くためにもがく。

マサルは、音楽を理解するということは、どういうことなのかわからずにいる。

塵は、師匠との約束に縛られながらも自由を求めてさまよう。


よーく見ると、少しずつ事情がずれているのだが、皆才能があり、努力してきた過去は同じである。

いくつか例えていく。わからなかったらwikipediaでも見てください。

『ドラゴンボール』
明石……クリリン
亜夜……ベジータ
マサル……フリーザ
塵……悟空

『ONE PIECE』
明石……ナミ
亜夜……サンジ
マサル……ゾロ
塵……ルフィ

『NARUTO』
明石……サクラ
亜夜……ナルト
マサル……カカシ
塵……サスケ

『名探偵コナン』
明石……毛利蘭
亜夜……灰原哀
マサル……服部平治
塵……新一(コナン)

『テイルズオブジアビス』
明石……ティア
亜夜……ルーク
マサル……ヴァン
塵……アッシュ


パッと考えたので、異論は大いに認める。
しかし、こう考えると明石の「実力こそあるが傍観者」というポジションのヒロイン力というのはかなり高いものがある。

つまり明石は共感を集めるが主人公らしくないということがわかった。

あと、塵だけが奇想天外、行動が読めない、と思っていたがマサルも近いものがあるように感じた。そもそも日本から出て行って、音楽界の中ではかなりの王道であるが、話の中では特殊すぎる経歴を持っているので、主人公というよりかは、『その話で活躍するもの』のカテゴリーに近い。

そうなってくると、素直に亜夜が主人公なのか。それが一番わかりやすいような気がしてくる。特殊な経歴なのだが、他の人物と違ってどん底からのスタートで、支援してくれる他者や、わかってくれる周囲によって引き上げられていく様子は、間違いなく主人公のそれであるように感じる。


大穴の三枝子という線を捨てることになってしまうが、仕方がない。


【最後に】

始めに「あえて」とつけたが、恩田陸は主人公を決めずに書き始めたのかもー、という考えがずーっとあるのは書き添えておく。中立の視点でピアノコンクールを描く、ということを決めて、ただただ人物がそれに従って動いていく。この見方ができるのも、作品のすばらしさの一つであると思う。コンクールに翻弄される人々、という見方である。

客観的事象を描くことが得意な著者なだけに、これを意図的に狙ったような気もしてくる。これでタイトルを『芳ケ江国際ピアノコンクール』にしないのは、やはりセンス、なのだろう。

でも、こんなストレートな結論で終わりにしてよいのでしょうか。また考えたら記事にしたいと思います。

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